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うたたね
実のところ、ボーカロイドは人間のように生体維持の必要があって眠るわけではない。眠るという状態は一種の仮死状態のようなものであって、電源オフの一歩手前だ。「眠る」ことによって彼らは与えられた情報を音楽を嚥下し、消化していく。自分の手に届かないところで情報を処理していくのだと考えた方が早い。
であるからして、眠っているのは全くおかしくない。ただし規則正しいボーカロイドなら日に一度、夜更かし好きなら二、三日に一度程度八時間から十時間の睡眠を取れば充分なことだ。
よって、ミクは畳の部屋で寝転がる兄の姿を見て首を傾げた。愛らしいツインテールがふわふわと揺れる。サイバー風味の彼女の普段着は、夏場は袖部分を身につけなければ露出度が高いのでまあまあ涼しい。ノースリーブにミニスカート、足を広げて座っていると兄にいちいち注意されるのが悩みの種だ。リンのようにショートパンツでも良かったのにと思う。今度着替えを申請してみようかな。
対して兄は、すなわちKAITOはボーカロイド一暑そうな格好をしている。MEIKOが真っ赤な胸元もあらわなシャツにへそだしホットパンツ、リンとレンがセーラー風の半袖短パンだというのに、彼は長ズボンにシャツ、長袖のロングコートにおまけのようにマフラーがくっついている。それで暑い暑いと言って脱げ、ときょうだい全員から突っ込まれたのは記憶に新しい。
余談だがボーカロイドは感覚的にはほぼ人間と等しいそれを兼ね備えている。であるからして、暑いものは暑いし寒いものは寒い。では冬は薄着組はどうしているかというと、外気温感度を下げているのだ。だというのにKAITOは、夏は暑いもんだと言って譲らない。見ている方が暑苦しいとは気が付いていないようだ。
さてKAITOは、風が柔らかく吹き抜けるその部屋でごろりと転がって「眠って」いた。マフラーもつけたままで、絡まって首が絞まらないのかなとミクは少し思ったが、流石にそこまでヘマはすまい。手元にはすっかり食べきったアイスの棒が握られている。寝顔を見るが、寝顔の方が普段の顔よりずっとしまりがあるというのはどうかと思う。本気を出す時以外の兄のデフォ顔はにこにこ笑顔か困り顔か、泣き顔かアイスを見た時の全壊幸せ笑顔だ。これが眠ると一切の表情を消して、本来の端正さが露わになる。
まともにしていればかっこいいのに、と自慢の兄と言ってもいい顔の横にミクは腰を下ろした。だがミクは結局、起きている時の兄の方が好きだったのだから、文句を言うつもりではない。起こすでもなく、ただその顔を見ていた。
真顔で眠っているくせに、どこかに安らぎが見えるその顔は不思議だった。まるで自分まで「眠たく」なってくるような。
この暑いのにと思いながらも、日課のネギ畑への水やりが終わっていたせいもあって、ミクは部屋の隅にあった座布団を引き寄せてそれを枕にして横たわった。兄が起きたら、どんな顔をするかしら。
暑かったのでリンと二人でロードローラーで風を感じてきたレンは、その部屋の前で立ち止まった。普段あまり人がいることのない畳の部屋の中では、兄と姉が仲睦まじく眠っていた。
なにやってんだ、と思う。この二人がこんなところで居眠りなんかしているから、リンと手分けしてまで探さなきゃいけなくなったというのに。姿をくらましている間こんなところで休眠しているなんて人騒がせにも程がある。
本格的な「眠り」ではないのだろうと見当が付いた。ちょっとそんな気分になったから目を閉じてみようみたいな、人間みたいな発想だ。よくわからないと思いながらも、レンは二人を起こさなかった。
起動時間に差があるから、経験の差が上三人と比べるとあるのはしょうがない。おまけに設定年齢まで低いと来た。それになんとなくちりちりしたジレンマ、決して歌声には出ないノイズを抱えていたのだが、この光景を見てそれが表に出てきたりはしなかった。
リンが待っているのはわかっている。でもそれは、きっと探し場所が無くなったリンもここに来るだろうということだ。少しでもあの片割れより先んじてみたくて、レンは畳の部屋に足を踏み入れた。
いつまでも双子が同じ速度で進めるとは思っていない。たまにリンにもびっくりさせられることが増えた。少しさみしいが、そういうのも成長なんだよとどこかの馬鹿兄貴が言っていた気がする。
レンはKAITOを挟んでミクの反対側に寝転がると、手に触れた布をなんとはなしに握りしめた。柔らかな感触に、それが暑苦しいマフラーだとはわかっていたのだけど。兄は起きたら驚くだろうか。
廊下を走っていたリンは、ふと足を止めてその部屋を覗き込んだ。小の字っぽく眠っている三人を発見して、ぷうと頬を膨らませる。
彼女は今までMEIKOに頼まれて一生懸命KAITOとミクを探していたのだ。そしてようやく見つけたと思ったら二人はすやすやと何の問題もないかのように眠っているし、手分けしていたはずの片割れまでも一緒になって目を閉じているではないか。
これは由々しき事態である、と誰も見ていないのに芝居がかった動作で腕を組んでリンは嘆息した。そもそも眠っていて呼びかけにも応じない二人もそうだが、レンもレンだ。一緒になって探していたのだから、「眠る」前に連絡の一つも寄こさないのがおかしい。別に四六時中一緒にいたいわけではないが(いたくはないわけじゃないけど)こうやって自分の知らないところで自分をほったらかしにして、と思うと腹に来るものがある。響き合うために生まれたのに、不協和音を奏でるようになってしまうのだろうか。別離の歌はいくつも歌ったことがあるけど、自分たちがそうなるとはなかなか思えなかった。二人の間で変化はあるかもしれないが、どちらかの消滅はあり得ないはずなのだ。相手がいるから自分がいて、自分がいるから相手がいるのだから。どちらが裏でどちらが表かも、もうわからない。
兄にはわかっているのかもしれないけれどと寝姿を見下ろすと、いつものように暑そうだった。そのマフラーの端をレンが握っていて、伸ばされた腕の先の指をミクが触れている。ハーゲンダッツのクリスピーサンド片手に、どっちが表でもおいしいよと、両方表で出来てるのかもしれない、と笑ったのはこの兄だった。片割れは兄ではなく、弟だとリンは頑なに主張している。あちらもリンを妹だと主張するのだからおあいこだ。
だからリンは、姉に頼まれていたことなどすっかり忘れて畳の部屋に入った。それから兄の頭の上あたりに寝転がり、くしゃりと髪に手を差し入れる。ううんと唸ったような気がしたが、起きる気配はなかった。兄が起きたら、怒られるかな。
「……あらあら」
昼過ぎから(正確には酒とアイスとみかんとバナナの買い出しを終えてから)姿が見えなくなったKAITOと、ネギ畑に行った後顔を出さないミクと、二人を探してくれと頼んだはずなのに消息不明になったリンとレンとは、MEIKOが見下ろす先でくっついて眠っていた。団子のようだと彼女はくすくす笑う。暑いだろうに。
「せっかく頂き物のスイカがあるのに」
最近隣に引っ越してきた親戚のがくぽからの差し入れだった。お返しにキュウリと大量にある枯れかけたネギを渡すと、視線をさまよわせてからかたじけないと受け取った。断ることができないあたり人の良さを伺わせる。
どうしようかしらとMEIKOは首をひねった。せっかくのスイカなのだからフルーツポンチカクテルにして食べてみたかったし、夏の果実は弟妹たちも嬉しくかぶりつくに違いなかったのに。
しかし起こすにはもったいないぐらい、四人は仲良く「眠って」いた。それが擬似的な眠りに過ぎないとしても余るほどに。
ひとまずMEIKOは、氷水を張ったたらいに浮かんでいるスイカの様子を見に行くことにした。氷が溶けているようだったら井戸につけるのが古来からの伝統というやつだろう。
それからタオルケットを持ってあの部屋に戻って、あの団子にかけてやろう。そうしたら自分は、酒を持ってあの光景を肴にするのもいいし、あの部屋の窓辺に風鈴を取り付けてみるのも良い。必要なインテリアは調達できるし、何より涼しげだ。
そうしようと身を翻す刹那、視界の端に取り澄ました顔の弟を捕らえて思わず笑った。眠る時の癖だが、今は常より寝苦しそうだ。弟が起きたら、モテモテねとからかってやろう。
End.
舞台は不思議空間。